最終更新2004/12/5
NHK:日8  新選組!  戻る
出演者/香取慎吾 藤原竜也 山本耕史 優香 戸田恵子 江口洋介  他 

 41話 「観柳斎、転落」 慶応3年6月22日 京 武田観柳斎どうしようもない奴・・ 八嶋さんならではの役だったが史実上はどうだった?
 この人本当にこんな奴だったのかなぁ? 不思議斎藤さん相変わらず木彫り人形を彫りながらいたいた でももっと出てきてくれなきゃ!
 近藤 「もうここまでにしよう ここまでに」 土方 「決めたんだろう局長は なら副長はそれに従うまでだ」 近藤さん遅いよ!
 もっと早く決断して欲しかった・・ でもまだ近藤の思いは空回りしてんだよなぁ 思いとは裏腹に事が進む・・
 最近かなり慎吾ちゃん(近藤)局長らしくなってきた 頼り我意のある局長!いいねぇ その反面最近の土方は何故かおとなしい
 まぁそれも良いけどもっとギラギラしていて欲しくもある そしてこの2人がカッチャン・トシになる瞬間がとてもよい!その落差が良い
 坂本龍馬「王政復古」本当に突飛押しのない事を考える人だ 今なら分かるがこの時代に考えるなんて凄い人だ
 ところがこの時代の人間はこんな素晴らしい案に聞く耳を持たないんだよな本当に勿体無い 訳の分かっていない奴らばかりで・・
 てっきり坂本龍馬を探しているものだとばかり思っていた でもそれにしちゃぁ新選組の羽織を着てないし変だとも思っていた
 永倉達が探していたのはお雪の妹おこう お幸登場!さて、どう絡んで行くのか??
 「新選組を行く」 龍馬 脱藩への道 坂本龍馬湿板写真 武市半平太像 漂巽紀畧 河田小龍 梼原町 維新の門群像 脱藩の道
 名台詞 : 近藤 「死をもって償う事だけが武士道ではない生きる事もまた償いであるそう易々とは死なせん」
 武田 「ここでは死ねん 近藤局長から頂いた命 ここでは死ねん!!」

 42話 「龍馬 暗殺」 上様はもっとのほほんとした人だと思っていた この作品では随分変人扱い 殆どの別作品ではうだつの上らない
 のほほんとした人で描いてる 実際はどうだったんだろ? 最近の新選組は1話ごとに1人づつ人が死んでゆく 今日はとうとう坂本龍馬
 とうとうこの日が来たか・・ 今迄は新選組だと思っていたが史実上犯人は不明で説が沢山あるそうだ この人の死は日本にとって痛手!
 周平がまだ頑張っている・・ 何時居なくなるんだろ? 総司吐血!別れの時がもう直ぐそこへ・・ 近藤 「閉めて行ってください」お雪とは
 真逆のお幸に戸惑う近藤さんが可愛い♪ 龍馬 「おぬしは今どの辺ぜよ」 斎藤さんやっぱり悩んでるんだな・・
 人斬りの背負う宿命 それで木彫りの人形を作ってるんだ でも斉藤さんって確か最後まで近藤達と行動を共にするんだと思ったけど?
 「新選組を行く」 龍馬 暗殺 近江屋跡 慶応3年(1867)年11月15日 坂本龍馬 中岡慎太郎 屏風(血痕) 瀕死の中岡は「刺客は
 こなくそ!」と叫んだと言う これは原田の出身地の方言なんだそうである 薩摩藩邸跡 京都見廻組今井信郎 両者墓
 名台詞 : 永倉 「昔はこういう時に解説してくれる人が必ず居たんだがなぁ」
 坂本 「人は信じる事から始めんといかん 国を動かすにしてもそうぜよ まずは相手を信じるそれからじゃき それで裏切られた時は
 自分に見る目が無かったという事ぜよ」   近藤 「閉めて行ってください・・」

 43話 「決戦、油小路」 慶応3年11月18日京 平助が死んだ 総司の思いはいかばかりだろう・・  総司 「あなた達が思ってる程
 子供じゃないんだ!」 これは平助の事を言ったんだけど実は総司自身の言葉でもあると思った 平助と総司は立場が良く似ていた
 いつまでも子供扱いされて1人前に見て貰えないジレンマ でも近藤も土方もその他皆も誰もが2人を好いている大事に大事に思ってる
 だから尚更泣けた泣けた・・ でも総司が駆けつけて平助を斬るってのももっと辛いものがある  ところで平助役の中村堪太郎
 流石は歌舞伎役者の子 以前から臭い芝居だとは思っていたが 今日は誰かからお許しでも出たかのようにもろ「歌舞伎」じゃないか
 ミエを切る切る(笑)ちょっと違うよなぁと引きもした 体に染み付いてしまった歌舞伎目線って抜けないんだろうなぁ
 伊東vs近藤 近藤 「あなたが弾かれたのは薩摩の人間でも長州の人間でもないからだ」 ←確かに!近藤がどう言いくるめるのかと
 思っていたが これを言われれば確かに伊東も惨敗だ そしてこの人にならついて行こうと思える 言葉に重さがある力があるなのに・・
 伊東も死んだ 史実はどうだったか知らないが隊が大きくなればなる程近藤の思いは空回りする・・
 「新選組を行く」 伊東甲子太郎と藤堂平助 京都油小路本光寺石塔 高台寺月真院(御陵衛士屯所跡) 御陵衛士の墓所(戒光寺)
 伊東甲子太郎の墓 藤堂平助の墓
 名台詞 : 土方 「皆さんご立派な方々ばぁっかりで!」 平助 「先生 これで良かったんですね」 近藤 「おまえは誠の武士だ」

 44話 「局長襲撃」 慶応3年(1867)12月9日 王政復古の大号令 12月12日「新遊撃隊御雇」
 島田 「新選組は無くなったりしませんよねぇ 俺他に行く場所がないんで」 近藤 「私もだ」 やっぱり新選組という名前の方が良い
 今迄この名の下に死んで行った隊士達の為にも・・ ここではお馬鹿な徳川慶喜が描かれてる こいつに翻弄されて これから棘の道に
 突き進んで行くのだな・・  とうとう伏見へ!今話では珍しく誰も死ななかったけど 伏見では死と別れが待っている・・ 確か総司は
 伏見に行くんだよなぁ?でかなり悪化して江戸へ戻される筈?皆に「病人は寝ていろ!」と言われるのはどれ程辛い事だろう
 お幸にまでも「子供」と言われてしまうし これじゃちっとも病は治らない・・ でも皆からの高麗人参の差し入れには有り難くもあり・・
 「新選組を行く」 近藤勇 狙撃 二条城 1867年10月13日大政奉還 12月18日近藤狙撃
 近藤狙撃現場付近(現:伏見街道丹波橋筋) 篠原泰之進 泰林親日記
 名台詞 : 斉藤 「やめとけ俺のようにはなるな だから俺はお前を気に掛けてる」 近藤 「ならば伺おう!我らが命がけで戦ったこの5年
 御公儀の為に1度でも命を掛けた事がおありか?!」 「あの人は(坂本龍馬)時代を動かそうとしていた 日本を変えようとしていた
 力で誰もがこの国を変えようとした あの人だけは最期まで戦を好まなかった あの人だけが!」

 45話 「源さん、死す」 慶応4年(1868)1月3日鳥羽伏見の戦いに近藤はいなかった・・ そんなに深手を負ってるなんて知らなかった
 って事は後に回復して近藤は刀を握る事が出来たのだろうか? 幕府軍は平和ボケした年寄りばかり そりゃ負ける筈だ
  刀vs鉄砲・大砲だもんそりゃ無理 しかも相手は「錦之御旗」菊の御紋を挙げてるんだもん 全く勝ち目は無い どんどん悲惨になって
 行って見ているのが辛くなる・・ そして源さん 近藤に託された周平を守る為なら そりゃ源さん命を張るわな また1人逝ってしまった・・
 もっと強く抱きしめるんだ!!最後の言葉 「楽しゅうございました」 これには今までの色んな出来事を一瞬にして思い出さされた・・
 確かこの鳥羽伏見の戦いの後 永倉・原田も去って行く筈??そして沖田は多摩に帰る筈だ??もう殆ど終焉って感じだなぁ
 何故近藤は最後まで幕府と心中したのか??ずっとそれを考えていた 百姓出だから 本当の武士になりたかったのは勿論だが
 世の「理不尽」に切れたから??今日見てて思えたんだけど それは薩長にも上様にも??
 「新選組を行く」 鳥羽伏見の戦い 伏見奉行所跡 御香宮 「錦之御旗」 1月5日千両松古戦場跡 戊辰東軍戦死者霊名簿 妙教寺
 1月3日鳥羽伏見戦跡
 名台詞 : 島田 「もっと強く抱きしめるんだ 魂が抜け出て行かねぇ様に!!」 源さん 「局長は昔から人が良すぎるところがございます
 人を信じ過ぎる 結局傷付くのはご自分である事をお忘れになりませぬように それからあまり1人で何もかも背負々うとなさらぬ事」

 46話 「東へ」 佐々木・山崎が死んだ・・ 江戸城に逃げ帰った上様 勝海舟の助言で水戸隠居を決める 野田英樹演ずる勝海舟
 良い味出すねぇ お馬鹿上様と勝狸の化かし合いだ(笑) 今や時代はもう刀では鉄砲や大砲には勝てないを嫌という程思い知らされ
 諦め落胆する奴と即座に展開を変えようとする奴と・・ 総司 「江戸を出た時は8人だったのに」 1人また1人と死んでしまい5人になった
 確かに時の流れを感じるなぁ 江戸へ帰る事になった しかし胸を張っての帰還ではない・・ これから新選組はどうなって行くのか??
 勝海舟 「新選組?只の時代遅れの剣術屋風情じゃありませんか あやつら等にもはや時代の波など止める事は出来やしない!!」
 悲しいかなかなり的を得ている・・  おいてけぼりを喰った富士山丸艦長榎本として草g剛登場!(笑)いつかは出てくると思っていた
 「新選組を行く」 病の天才剣士 沖田総司 富士山丸 今戸神社(東京台東区) 松本良順(幕府の医師)
 天然理心流の木刀(総司の得意技「三段突き」) 近藤勇書簡(後継者に) 八木為三郎(笑談を言っていたと記されている)
 沖田が残した最後の書簡 東京西麻布・桜田神社(この辺りで沖田産伝) 慶応4年5月30日没 享年27歳
 名台詞 : 勝海舟 「これより酷い手は他にはございませぬ」 近藤 「俺達はまだ負けてはいない 逃げ帰るのではない 勝つ為に行くのだ」

 47話「再会」 慶応4年(1868)3月江戸 新選組はお上より「甲陽鎮撫隊」という新しい名前を授かる
 勝海舟から甲府城行を命じられたって事は新選組の死に場所を与えられたって事・・ まだまだ!と意気揚々と向かったのだと今迄ずっと
 思っていたから意外だった 時代の流れに取り残された事も邪魔者扱いされてる事も近藤は充々承知の上での出陣だったんだ・・
 時代の流れに逆行してると判っていて何故最後まで突っ走ったのか?どうしてそういう流れになったのか疑問が残る でもだとすると
 永倉原田が去る意味が今一納得出来ない ひょっとして2人は近藤の胸の内を知らなかったのか? それとも近藤の胸内を知った上で
 「変ったのはあんたの心だ」と出て行ったのかどっちなんだろう? 今迄の永倉なら心内を判った上で何故一緒に死んでくれと言わない!
 と詰め寄るなら話はわかるんだが・・? 何か今一納得行かない まぁ出て行った事は史実なので曲げられないので仕方ないんだが・・
 斎藤 「この旗が俺を拾ってくれた 局長! 俺が居る限り新選組は終わらない!」 ←どうしちゃったの? こんな熱い斎藤さんを見るのは
 初めてだ(^^v 剣しか知らない斉藤にはもう居場所はここしかないからなんだろうな・・
 「新選組を行く」 甲陽鎮撫隊敗れる 慶応4年(1868)3月 旧甲州街道 西光寺(東京調布市) 若宮八幡神社(戦勝祈願す)
 土方歳三 勝沼古戦場跡 旧幕府軍隊士の墓 甲州勝沼近藤勇騎勇之図
 名台詞 : 勝海舟 「あいつは見抜いてたな 俺があいつに望んだ事 あいつはみんな見抜いてたな」
 総司 「悔しいんですよ」 土方 「俺達にとって京の5年って一体何だったんだ?俺達は結局世の中を引っ掻き回しただけじゃねぇのか」
 近藤 「最後には自分を信じた 悔いは無い 振り返るのはもう少し先にとっておこう」

 48話 「流山」 慶応4年(1868)3月6日甲州勝沼 頼みの綱の菜っ葉隊は当等現れること無く惨敗に終る
 苦楽を共にしてきた8人の内 沖田は療養 山南切腹 源さん戦死 平助斬死 永倉・原田離脱 土方と近藤2人だけになってしまった
 4月3日その近藤が薩摩に出頭せねばならなくなる・・ あのコルクを見せ合い旗本:大久保大和として出頭する これが土方と近藤の
 今生の別れとなる訳でかなり複雑・・ 近藤の思うところは「正義は我らに有り 儀を重んじる者にとって薩長を認める訳には行かなかった」
 成る程筋を通したかったんだな・・ だから自分から「加納君お久し振りです」と あの笑顔は切腹の覚悟を決めた笑顔であり・・
 あの時加納は何と言うつもりだったのだろう? 近藤の事だから加納の事を考え面通しで自分から申告したのだろう全く近藤さんったら・・
 そして来週とうとう最終話 総司って近藤より後に死んでるんだ?今迄おぼろげに知っているだけだった新選組 色々勉強も出来たなぁ
 でもこの面々とお別れってのも寂しいなぁとも思うのだが・・
 「新選組を行く」 近藤、土方離別の地 流山 千葉県流山市 近藤勇陣屋跡 島田魁日記 光明院 恩田家文書(こうさん)
 切腹を覚悟する近藤を土方はここでの割腹は犬死と説得 大久保大和として出頭す
 名台詞 : 斉藤 「いつ頃死ぬんだ?」 総司 「近頃思うんです この200年ずっと戦が無くて 愈々世の中が不穏になってきたら
 刀の時代が終わっちゃった そのほんの短い間に私はこの世に生まれて 近藤さん達と出会えて京で新選組として働けた
 なんて自分は運が良いんだろうって」  土方 「あんたを悩ませてばかりいたような 余計な重荷を背負わせてしまったように思う」








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